2022年01月31日
修理工場のように見えた新築病院

治療に通っている総合病院が、市内中心部から郊外に新築移転した。建物の手狭さと老朽化によるもの。廊下の幅は、検査のため入院患者がベッド移動すると、通路がふさがれるほど。駐車場も狭く患者が多い日は、誘導員がいなければ立ち往生することも度々だった。
新築の病院に先日初めて行った。8階建ての建物の前に、誘導員を必要としない広々とした駐車スペースがあった。エントランスホールに入ると、廊下の幅はかつての倍ほどの広さになっており、動線の不便は解消されていた。
しかし困った変化が起きていた。総合受付、診療受付、会計、院内での薬の受け取りがすべてバーコード処理になっていた。総合受付に担当者はほとんどおらず、替わりにATMのような機械が置かれ、受診予約表のバーコードをかざすと、外来基本票が出てきた。この票のバーコードが後の処理に使われた。会計は自動精算機での支払いだった。さすがに医師は、私の体にバーコードリーダーを向けなかったが。
以前は事務員や薬剤師も「顔見知り」の外来患者に「今日は顔色がいいね」とか「帰りの運転は気を付けて」とさりげなく声をかけていた。しかしその職場が、壁で仕切られ、人の姿が全く見えなくなっていた。無人の物流倉庫の中を、バーコードを読み取られながらベルトコンベアで運ばれる段ボール箱のような気持ちで病院を出た。
病院は決して機械の修理工場ではない。デジタル庁の設置より、アナログな肉体と精神を持つ人間が快適に暮らせる社会を支える、アナログ庁を望む私だから余計にそう感じた。
2021年12月24日
参院選比例に ユーチューバー出馬か

2年ほど前、健康づくりについて話していると知人が「近くの福祉館で週1回の太極拳講座がある」と教えてくれた。早速講座に顔を出し、次週からの参加をお願いした。
講座は、準備運動の「練功十八法」(日本のラジオ体操風なもの)に始まり、ストレッチ運動、太極拳の「入門編」「初級編」「二十四式」と続き90分間。ストレッチが一番きつい運動で冬場でも汗をかいている。講座の「先輩」たちは、私より3年前から始めており、太極拳の動作の套路(とうろ)(型)ができていた。
講師は「先輩」たちと「新人」の私を一緒に教えるため、私には「先輩の動きを見て覚えなさい」との指導だった。手の動きを見ていると足がついてゆけず、回転すると視界から消えるなど、1カ月通っても套路が身に付かなかった。そこでユーチューブの太極拳動画をスローや停止にしながら、パソコン画面前で動きをまねた。これがなかったら、今でもネジ巻きのブリキ人形のような動きのままだっただろう。
知人の女性も「料理やお菓子作りにユーチューブが役立っている」と言っている。多種多様なジャンルが見られる。サイトの内容は、ピンからキリまでの玉石混交だが、世界中で重宝がられている。ユーチューバーは数年前から、男子児童の将来なりたい職業のベスト10に入るほどの人気だ。
かつて参院選の全国区や比例代表に、テレビなどの芸能界で活躍する人がタレント候補と呼ばれ多数立候補した。来年の参院選の比例代表にも、個人名が政党の得票に結びつくため、登録者数が数百万のユーチューバーを担ぎ出す政党がでてきそうな予感がする。
2021年11月13日
ホームズ時代からのアフガンの苦悩

私は、小・中学生の頃はほとんど小説を読まない子だった。しかし中2の時、コナン・ドイル作「シャーロックホームズ」全8冊を読んだ。創元推理文庫だったと思う。何が発端だったか、クラスの4、5人で競うようにシリーズを読んだ。
一番記憶に残っている作品は『踊る人形』。依頼者の妻宛ての手紙や自宅の柵、ドアなどに書かれた人形が踊っているような絵文字。ホームズがこの暗号を解読し、事件を解決するというストーリーだ。この本で、英語の文章には、アルファベットのEが一番多く使われているという雑学も得た。作品ではアルファベット26文字のうちいくつかの絵文字が抜けていた。読書仲間で欠けた文字を創作し、授業中にこっそり渡すメモや年賀状に「踊る人形」で文章を書いて遊んだ。
ホームズの物語に夢中になったのは、彼の観察眼と分析力と演繹(えんえき)推理学に魅了されたからだ。しかし、19世紀後半の英国の時代背景や社会の仕組みを知らないと、ストーリーについていけない個所もあった。「英国軍医が苦難を経験し、腕に負傷を受けてしまうような所がある?アフガニスタンをおいて他になし」。ホームズが初対面のワトソン博士をアフガン戦争の帰還者と見抜いて驚かすが、中2の少年たちはその戦争の知識を全く持ち合わせていなかった。
アフガンはその後、20世紀前半に大英帝国の支配を離れ、同後半のソ連軍の侵攻も撃退し、8月末にはタリバンの政権奪回の混乱のなか、米軍が突然の撤収。ホームズでも、1世紀半後までのアフガンの苦難の歴史は推理できなかっただろう。アフガンはどこに向かう。
2021年10月25日
角打ちの灯りが 消えようとしている

持続可能な社会づくりということで、商品パッケージのごみをなくす「量り売りショップ」が広がっている。持参した容器に必要な分だけを買い食品ロスも減らせる。
私たちの子ども時代は、食料のほとんどが量り売りだった。私も醤油、豆腐、コメなどのお使いに、瓶やザル、麻袋を持って出かけた。一番多かったのは酒。二級酒を買いに一升瓶を抱え、近くの酒屋まで月に数度通った。五合瓶の時もあった。給料日前で家計が苦しかったのだろう。
その酒屋はコップ酒の量り売りをする「角打(かくう)ち」の店だった。午前中から、煙草の煙の向こうで赤ら顔の大人たちが飲んでいた。北九州の重化学工場は機械を24時間動かすため、現場の労働者は朝、昼、夜の三交代で働いていたからだ。
「北九州角打ち文化研究会」によると、北九州で角打ちができる店は20年前は約200軒、10年ほど前は150軒。今では50軒前後に激減している。店主の高齢化と後継者難に加え、工場の勤務体系も変わり常連層も減った。そこに数度の緊急事態宣言などによる「禁酒令」が追い打ちをかけた。常連客の惜しむ声のなか次々と閉店に。
角打ちはあくまで「酒屋」で飲むこと。酒屋は「酒類販売業」であって「飲食店としてのサービス業」ではない。角打ちを休んでも「休業補償」の対象にならない。「酒は提供するな」「補償はしない」のダブルパンチを受けた。「広辞苑 第七版」(2018年発行)に初めて角打ちという言葉が掲載され、女性や若い客にも注目され始めた矢先の打撃である。政府の不手際なコロナ対策の犠牲がこんなところにも。
2021年09月28日
自然遺産登録に「宿題」も山積み

ユネスコの世界遺産委員会が7月26日、「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」を自然遺産に登録した。亜熱帯の森にアマミノクロウサギやイリオモテヤマネコ、ヤンバルクイナなど多様で希少な固有種の動植物が生きている島として評価された。日本の自然遺産としては5件目で、最後のリスト登録になる可能性が高い。
正式決定の日、小学2年生の孫は、照葉樹林が広がる奄美大島にいた。登録後は「人流」がどっと増えると考えてのことらしい。大型で強い台風6号の影響で天候は良くなかった。それでも名瀬の金作原(きんさくばる)の探索、マングローブでのカヌー挑戦、ナイトツアーでアマミノクロウサギとの遭遇など奄美の自然を体感した。
印象に残ったものを聞いてみた。「森ではアマミイシカワガエルがすごかった」「海ではオカヤドカリの産卵が見られてうれしかった」「それにシオマネキ。マングローブの干潟に1500匹くらいいたよ」。小さな生き物の中に大きな宇宙を見た、ファーブル的時間を過ごしたのだろう。
登録が決まった翌日、奄美群島12市町村長が経済効果を波及させる「観光マスタープラン」の策定を決めたとのニュースが流れた。彼らは自然遺産登録を、テーマパーク開設と勘違いしているようだ。登録は「ゴール」ではなく、先人たちが残した遺産を未来につなぐ「スタート」にすぎない。
委員会が要請した絶滅危惧種の交通事故死減少や河川再生の対策をはじめ、動植物の密猟や盗掘、環境汚染への対応など多くの「宿題」がある。来島者が増える前に手をつけるのは、これらの解決策からだろう。