2023年04月26日
「分別生産流通管理済み」って何

毎朝、納豆を食べている。太めの粒が好きだ。めかぶ、キムチ、生卵と混ぜて口に運ぶ。
小学生の頃、漫画やホームドラマで糸を引いた納豆のシーンを見て食べたいと思った。わらで包んだ納豆を売り歩く人はいたが、親から「不衛生だからだめ」と言われた。1950年代初めに、わらを十分に消毒せずに販売し、サルモネラ菌などで死亡する事件があった。初めて口にしたのは、発泡スチロールの容器に入った物が販売されるようになった中学生の頃。以来朝食の必需品に。
最近、納豆の原材料名に、気になる文言が表示されている。大豆について「遺伝子組み換えでない」と書かれていたものが、意味がよく分からない「分別生産流通管理済み」に。4月から遺伝子組換えの任意表示制度が変更されたからだ。
これまでは、遺伝子組み換え大豆の混入が5%以下であれば「組み換えでない」の表示ができたと知った。消費者団体は5%は高すぎるのでEU並みに1%程度に下げるべきと政府に要請していた。これは受け入れられず5%以下の表示を「管理済み」ならOKに。「組み換えでない」は0%の場合のみとした。
日本で使われている大豆のうち、国産はわずか6%。輸入元の7割が米国で、同国産の大豆は94%が「組み換え」。国産と輸入品を一切混在なく管理するのは難しいという。「組み換えでない」と表示してわずかでも混在があれば摘発される。ほとんどのメーカーが「管理済み」表示にした。
遺伝子組み換えへの関心をそらすため、表示を変えさせようと裏で糸を引いた者がいたのではと勘繰ってしまう。
2022年11月16日
「血がが」 言葉にみる賢い分析力

円安の動向が気になる。この秋は値上げラッシュになった。臨時国会で岸田首相は、急激な円安への対応を「円安メリットを生かす」と所信表明した。途上国型への経済転換かとみなされるこの発言に「子ども並みの分析・判断力」と酷評する評論家も。しかし、岸田首相の分析・判断力が低いにしても、子どもを侮ってはいけない。
メキシコに住む娘の長女が幼稚園児の頃「血がでた」を「血ががでた」としゃべっていた。幼児が毎日血を流す、物騒な地域に住んでいたわけではない。バンドエイドを貼ったり、包帯を巻くことが好きで「血ががでた」と言っては、遊びで貼ったり巻いたりしていた。母親は、スペイン語と日本語のバイリンガルだから変な間違いをするのかと心配していた。
言葉の「うんちく」が好きな人のユーチューブに「ゆる言語学ラジオ」がある。「ゆるく楽しく言語の話をする」動画。文法、語源、ことわざ、方言、部首、世界の言語とテーマは多様だ。
この番組で「血がが」問題を取り上げた回があった。「ちいさい言語学者の冒険」という本を元に、幼児がなぜ「血がが」や「蚊にに」と言うのかを論理的に説明していた。日本語には「血」「蚊」のような1音節の名詞は少なく、「が」「に」のような1音節の格助詞と組み合わせるには2音節の名詞にしたほうが正しいと幼児は判断するという話。
なじみがある1音節の「手」「目」での言い間違いがほとんどないのは、親が「お手々」「お目々」と話しかけるため。言い間違いではなく、子どもは「文法」的に賢い分析・判断をしていたのだ。
2022年10月26日
偽装イベントで 市民に近づく「教団」

鹿児島県では「ピースロード」の役員就任や後援団体問題で、旧統一教会と政治家、行政との関係が8月上旬に大きな問題になった。
大学に通っていた1970年代初め、キャンパス内で「聖書を勉強しませんか」と声をかける人たちがいた。原理研究会の学生だった。当時は「彼らは勝共連合」と言えば、近寄る学生はほとんどいない時代環境だった。80から90年代には霊感商法、合同結婚式がテレビや週刊誌で報じられ、旧統一教会がうさんくさいカルト的な教団であることが知られていた。その後、教団への世間の関心は薄れていた。
それが安倍晋三元首相の銃撃事件で、知らないうちに活性化していた政治家と教団の「蜜月」が明らかになった。保守政治家が旧統一教会の選挙協力をアテにし、教団は政治家を広告塔にし活動にお墨付きを得ていた。
反社会的活動を続ける教団のターゲットは政治家だけではない。「ピースロード」の共催に、YSP鹿児島という見慣れない団体名があった。YSPとは世界平和青年学生同盟の略称、教団の関連団体だった。彼らは「身元」を隠しボランティアを装い、SDGs、地域清掃、子ども食堂といったイベントで市民に近づいていた。
ネットで調べると、県内の保育園、ダンススタジオ、食のボランティア団体などがイベントに参加している。学生には清掃活動や異文化交流を呼びかけ、活動後はYSP鹿児島のライングループに加入させている。信者獲得の新たな手口だろう。被害者をこれ以上出さないためにも、報道機関は教団の偽装イベントの危険性も警告してほしい。
YSPはヤマハモーターサイクル・スポーツ・プラザの頭文字でもあるので混同にご注意を。
2022年09月27日
岩一個の動きで 世界的ニュースに

7月24日の夜は慌ただしく過ぎた。夕食後の9時前、テレビに「桜島で爆発的噴火 警戒レベル5に引き上げ」のテロップが。激しい噴火をした時は、火口から14㌔離れた我が家でも、大きな音がし窓ガラスが揺れ、硫黄の臭いが届く。そんな気配は一つもなかった。
民間企業が桜島の東側に設置している「桜島ライブカメラ」を思い出しアクセスした。爆発が起きた時間に戻してみると、山頂が赤く染まり数秒後に燃えているような岩石の塊が中腹に落ちていた。しかしすぐに真っ黒な山肌に戻り、その後変化はなかった。
鹿児島市に半世紀以上暮らして桜島の噴火で思い出すのは、1970年代後半から10年間の時期。一日何度も数千㍍級の黒煙を上げる日が続いた。真夏のある日、見渡せる青空が完全に黒い噴煙で覆い隠された。数分後外気が涼しくなった。太陽の光が灰で遮断されたためだ。恐竜の全滅の時代を体感した気がした。噴石が桜島のホテルの屋根と床に大きな穴を開けた事故も。降灰除去にロードスイーパーが使われたり、宅地内の灰を捨てる黄色の克灰袋(こくはいぶくろ)の無料配布もこの頃から始まった。
10時半ごろに鹿児島市が避難指示を出した後に、携帯やSNSに県外の知人から「大丈夫か」の問い合わせが続いた。大正大噴火規模の爆発が起こり、市街地まで避難が呼びかけられたと思ったようだ。
噴石が火口から2・4㌔以上飛ぶと警戒レベル5になる。翌日の調査で「記録超え」の噴石は1個だけだった。大山鳴動噴石一個が大ニュースとなり、娘が住むメキシコの地方都市のローカルラジオ局も放送した。
2022年08月29日
「政治的擬態」 分かる図鑑が欲しい

アジサイの葉に、きれいな模様をしたアゲハチョウが止まっていた。前の羽(はね)は光沢のあるいぶし銀の色に、特徴的な枝分かれをした黒い翅脈(しみゃく)が描かれている。後の羽には縁が長く伸びた尾状突起があり、濃いオレンジ色の丸い斑紋も付いている。でも、普段見かけるクロアゲハとは違っており、記録しようと思った。
急いで書斎に戻り、デジタルカメラを手に庭に取って返した。葉から逃げないうちに3枚余り写真に撮った。早速パソコンで画像を拡大しゆっくり観察してみる。全体的に小ぶりだし、触角の形がチョウではないし、なんとなくアゲハと雰囲気が違う。昆虫図鑑をたくさん持っている小3の孫に、SNSで写真を送り尋ねてみた。
アゲハモドキという「蛾」だった。「蝶」のジャコウアゲハは、幼虫時代に毒草を食べて体内に毒をため、天敵の蜂や鳥から身を守っている。アゲハモドキは毒草が食べられないので、ジャコウアゲハそっくりに「擬態」し自衛しているそうだ。蛾は夜行性と言われるが、昼間に飛行するなど活動時間もアゲハに寄せている。
擬態は数十万年、数百万年という年月をかけ、遺伝子レベルまで変化させたとの研究がある。祖先の文字通りのバタフライエフェクト(効果)による、命がけのチャレンジだったのだろう。
一方で、選挙期間中は「国民、市民のために全力で働きます」と声高に叫びながら、当選したとたんに私利・私欲に走る政治家を何人も見てきた。しかも批判を受けても、その地位にしがみつき続ける。残念なことに「政治的擬態」を見分ける図鑑が欲しくなるほどだ。
2022年07月29日
鹿児島市電を 災害時想定訓練に

コロナ感染者数の減少傾向が続いていたので、5月下旬に隣県ではあるが、熊本市現代美術館の展覧会に出かけた。JR熊本駅前から会場まで路面電車に乗ることに。
県外には、PASMOを持って出かける。仕事で東京に年4回前後出張していた時に、地下鉄用に購入した。以来、全国の公共交通で活用している。熊本市電はPASMOが使える。PASMOだけでなく、ICOCAなどの10種類の全国相互利用ICカード(10カード)が利用できる。
地元の鹿児島市電は、この10カードが使えない。鹿児島中央駅前で電車に乗っていると、重い荷物を持った観光客らしき人がICカードを読取部にかざして「えっPASMO使えないの」という場面に何度か出くわした。空耳かもしれないが「えっ薩摩は藩札しか使えない。維新は薩摩からっていうが、薩摩は明治維新が起きなかったのか」と私には聞こえていた。
鹿児島市電への10カードの導入については、2019年3月議会に陳情があった。しかし結果は不採択。市当局が「導入困難な理由」をいくつもあげ、議員も「それなら不採択」となった。熊本市電に導入したのはこの陳情の3年前の2016年から。九州のもう一つの公営路面電車の長崎市電も2020年3月から始めている。鹿児島市電もICカードは使えるが、Rapicaという「地産地消」専用のもの。
買い物の支払いにカード利用が多くなっているが、災害などの停電時には使えなくなる。この際、発想の転換で「市電は観光だけでなく、現金しか使えない災害時想定訓練もできる乗り物」と県外客に宣伝してはどうか。
2021年08月26日
横書き文章の読点符号に終止符

いつも文章を書いている時に気になるのが、読点の「、(テン)」をどの場所に打てばいいかである。自分の文章は読点が少し多いかなと思いながらも、読み間違いが起きないようにと、ついつい。国語の時間にも、読点の打つ場所をきちんと教わった記憶がない。
芥川龍之介は1925(大正14)年に「僕等は句読点の原則すら確立せざる言語上の暗黒時代に生まれたるものなり」と書いているが、今も確立されていない気がする。丸谷才一のように「たとえ句読点をすべて取り払ってもなほかつ一人立ちしてゐる頑丈な文章を書く」ことと言われれば、素人は怖気(おじけ)づくだけだ。
読点には、もう一つ疑問点があった。リタイア前は役所の職員とも仕事を一緒にしていた。1990年代からワープロで文章を書くことが多くなった。ある日、私の文字打ち画面を見て、役所の知人が「横書きの読点は『、』じゃなく『,(コンマ)』だよ」と。「日本語の文書に欧米の符号を使うのは変」と反論すると、「公用文はそうなってる」との答えだった。
職場にあった横書きの自治体例規集を見ると、なるほど読点が「,」になっていた。しかし、私の違和感は消えなかった。通信社の用字用語集では、横書きの読点に「,」は使わないと書いていたし、公用文を書いているわけではなかったので「、」を使い続けた。
最近、文化審議会国語分科会の小委員会が、横書きの公用文は一般に広く使われている「、」を用いるとのルールを承認したと、新聞記事で読んだ。70年ぶりの改定だそうだが、私のモヤモヤした気分に、読点いやピリオドがようやく付いた。
2021年07月26日
歓迎されないパンデピック開催

父の日に娘から贈り物が届いた。段ボール箱に「ガラス、こわれもの注意」のシールが貼られていた。妻は「ワインかビールのグラス」と見立てた。これまでビール、清酒などアルコール類だったので、妥当な推理だ。
箱を開けてみると、奇妙な形をしたガラスのオブジェが入っていた。中心に置かれた入口を閉じた試験管のような物と、上下にずれた左右のガラス球2個が、曲線と直線の4本のガラス管でつながっている。学校の理科室の片隅に置いてある、実験道具を思い出す。
説明書を読むと、19世紀初頭の欧州で、航海時に使われたストームグラス(天気管)を模した物だった。ガラス容器には、樟脳(しょうのう)を溶かしたエタノール液が詰められている。溶液や白い結晶の沈殿の状態によって、晴、曇り、雨。嵐、雪などの天気を予測したそうだ。
若きチャールズ・ダーウィンが調査のため乗船した、木造帆船のビーグル号や、小説『海底二万里』に登場する潜水艦ノーチラス号にも設置されている。安心な航海と船員の安全を考える船長にとって、嵐を避けるなど気象予測が第一の任務。ストームグラスは航海の必需品だっただろう。
コロナ感染の拡大を危惧する国民と専門家の意見を無視し、パンデピック(パンデミック下のオリンピック)は強行される。安心安全の言葉を念仏やお題目のようにつぶやくだけで。ウイルスに忖度(そんたく)を求めるかのように、関係者を「別枠」扱いしながら。この原稿を書いている6月下旬は、東京の感染者数は上昇に転じた。自ら嵐に向かう無謀な「TOKYO2020」号の、航海ではなく後悔が始まろうとしている。
2021年06月23日
浪花の理論物理学者が負けた商魂

コロナ禍で外出を控えるようになった人々の、家で快適に過ごす消費行動が「巣ごもり需要」と呼ばれている。ゲームや音楽事業、宅配関連が伸びている。「巣ごもり家電」では、たこ焼き器が前年比で40%近く伸びているとの統計もある。
ところで、たこ焼きのサイズは、なぜ半径2㌢前後なのだろう。浪花のアインシュタインと呼ばれる橋本幸士・京都大学大学院教授が、著書「物理学者のすごい思考法」で、この「謎」に挑戦している。「ブラックホールの中心はどうなっているのか?」と「たこ焼きの半径にはなぜ上限があるのか?」みたいな話は、まったく同じことと「日常のなかの物理」を日頃から考えている全身物理学者。
たこ焼きの半径に2㌢の上限があることと、カブト虫の体部分に上限があることに共通点を見出す。カブト虫は、外骨格という硬い殻で表面を覆い全体重を支える。大きなものでも、体の天地は半径2㌢ほどしかない。巨大なカブト虫は、長い歴史を経て体を扁平(へんぺい)にすることで、天地の距離を最小にしたまま、壊れにくい体を作り上げた。たこ焼きは、表面は固めでひと噛(か)みするとトロッとした中身が口に広がる。この本質を残したまま大きくするには、円盤のような形にするしかないという「解」に達した。
しかし近頃、半径5㌢のたこ焼きが焼けるジャンボとかギガたこ焼き器が売られている。超ひも理論、素粒子論の世界的最先端を研究する天才は、カブト虫の発達史より商魂の執念が上回ることを仮説に繰り込まなかった。教授が本書で言う通り、世の中の問題への「解」は多種多様だ。
2021年05月22日
暮らしの言葉から遠ざかる助数詞

小学校2年生の算数の授業で「32円のアメを買いました。100円はらうとおつりはいくらですか」。この問題に、ほぼ全生徒がお釣りの意味を知らなかったと、テレビ番組が取り上げていた。親との買い物で、電子マネーでピッとやる姿しか見ていなければが、釣り銭を知らなくて当然か。
買い物と言えば、かつては店員さんに「うどん4玉、ブドウ2房、水イカ3杯、こんにゃく2丁、タラコ3腹」などと、数量に助数詞を付けて自分の欲しい数量を買っていた。今ではスーパーやコンビニの棚から、欲しい数だけの商品を手にレジに持って行くだけ。若者にとって「イカ、こんにゃく、タラコの数え方」は、クイズの世界の話。実社会で使う若者はほぼいないのでは。
「1チョウ、2チョウ、3チョウと。お豆腐屋さんじゃないだから」。政府予算が膨れ上がると、このフレーズを必ず使う政治家や評論家がいる。でも若者に、この兆と丁の洒落(しゃれ)が通じているのか。
メキシコの5歳の孫娘は、家では父親とはスペイン語、母親とは日本語で話している。最近日本語で困っているのが、この助数詞について。娘がSNSにアップした2人の会話。孫「今日公園で友達が3個できた」。娘「3人ね」。孫「うん。あっ間違えた、もう1個いた」。娘「もう1人ね。女の子それとも男の子」。孫「男の子がね4匹」。
スペイン語には助数詞が無いという。日本の子どもたちは、周りの会話や書物から徐々に使い方を覚えてきた。母との会話だけで学んでいる孫には、いささか難しいだろう。でも「3匹の侍」という時代劇もあるので、男は匹でもいいか。
2021年05月17日
「論理的で不思議」だった安野さん

中学生の一時期、学校の図書館に足しげく通った。勉学に目覚めたのではない。ドーナツと、取っ手の部分に穴のあるコーヒーカップは同じ「もの」。境界も表裏の区別も持たない壺。とても柔らかくて伸びる下着は、上着を着ていても脱げる。こうした内容を楽しいイラストで描いた雑誌が、毎月読めたからだ。後年トポロジー(位相幾何学)の入門書と知るが、当時は奇妙な絵が面白かった。
20歳代に書店で手にした安野光雅の絵本「ふしぎなえ」は、10数年前の記憶を呼び起こしすぐに購読した。その後も彼の絵本を数冊購入した。背表紙まで傷むほどに娘たちの愛読書になり、今も本棚に置かれている。
当時、女性フッション雑誌「アン・アン」「ノン・ノ」を片手に、安曇野など人気観光地を旅する女性がアン・ノン族と呼ばれていた。安野さんは津和野出身であり、津和野をはじめヨーロッパ各地の幻想的な風景画も描いた。彼の風景画ファンはアン・ノン族をもじってアンノ族と自称していた。30代の私はアンノ族にならず「算私語録」など科学、数学からアートまで幅広いテーマのエッセイ本に興味を持った。どの文も論理的な洒脱さが気に入っていた。
一方で彼は、金正恩について聞かれ「ぼくは、金正恩のように大嫌いな奴も、戦争さえやめてくれたらなかなかいい奴だと考えが変わってしまう、それほどに戦争の苦しみが抜けない」と「最後の二等兵」の実体験から戦争の愚かさを語っていた。
94歳で逝ってしまった安野さん。まんがでは亡くなった人の頭には天使の輪が描かれるが、彼の頭上にはメビウスの輪状の物が光っていたのでは。
2021年05月16日
中身にまで影響を与える表紙もある

装丁の第一人者として知られる平野甲賀さん。彼が手がけた作品のリトグラフやポスターの展示会が、繁華街にある雑貨店兼ギャラリーで開かれた。見覚えのある独特の描き文字がずらりと並ぶ。平野さんの名は知らなくても、沢木耕太郎「深夜特急」とか、植草甚一やサブカル本の出版で有名な晶文社の書籍のタイトル文字といえば、思い出す人も多いだろう。
私が「甲賀フォント」として最初に覚えているのは、劇団のチラシだった。なじみの印刷所の営業マンから「この劇興味ある」と見せられたのは「68/71黒色テント」の「阿部定の犬」。元劇団員としてチケット販売を手伝っていた。演目の文字が気に入り即購入したが、いつも背広をぴしっと着こなし物腰も柔らかく笑顔で接客する彼と、黒色アナキストの劇団員のギャップにも驚いた。
そんなことを思い出しながら作品を見て回った。 ギャラリーの壁には作品のリトグラフ20点ほどと、装丁した書籍の古本約100冊が展示されていた。A1サイズのファイルに入った原寸原稿も鑑賞できた。大胆な描き文字が多いが、一方で写植文字を「寸止め」で切り貼りした甲賀ヅメの作品も。どちらもミリ単位以下にこだわった、緻密な仕事ぶりに目を奪われた。
彼のデザインは「パッケージデザインじゃないですね。中身にまで影響してきちゃう。文章がちょっと違って読めてくるような気がする」(建築家・石山修武)と評されている。
さてこちらは、東京2020組織委員会。新しい「表紙」の方は、わきまえない表紙として、日本社会のジェンダーギャップにまで影響力を発揮できるか注目される。