2021年10月25日
角打ちの灯りが 消えようとしている

持続可能な社会づくりということで、商品パッケージのごみをなくす「量り売りショップ」が広がっている。持参した容器に必要な分だけを買い食品ロスも減らせる。
私たちの子ども時代は、食料のほとんどが量り売りだった。私も醤油、豆腐、コメなどのお使いに、瓶やザル、麻袋を持って出かけた。一番多かったのは酒。二級酒を買いに一升瓶を抱え、近くの酒屋まで月に数度通った。五合瓶の時もあった。給料日前で家計が苦しかったのだろう。
その酒屋はコップ酒の量り売りをする「角打(かくう)ち」の店だった。午前中から、煙草の煙の向こうで赤ら顔の大人たちが飲んでいた。北九州の重化学工場は機械を24時間動かすため、現場の労働者は朝、昼、夜の三交代で働いていたからだ。
「北九州角打ち文化研究会」によると、北九州で角打ちができる店は20年前は約200軒、10年ほど前は150軒。今では50軒前後に激減している。店主の高齢化と後継者難に加え、工場の勤務体系も変わり常連層も減った。そこに数度の緊急事態宣言などによる「禁酒令」が追い打ちをかけた。常連客の惜しむ声のなか次々と閉店に。
角打ちはあくまで「酒屋」で飲むこと。酒屋は「酒類販売業」であって「飲食店としてのサービス業」ではない。角打ちを休んでも「休業補償」の対象にならない。「酒は提供するな」「補償はしない」のダブルパンチを受けた。「広辞苑 第七版」(2018年発行)に初めて角打ちという言葉が掲載され、女性や若い客にも注目され始めた矢先の打撃である。政府の不手際なコロナ対策の犠牲がこんなところにも。
2021年10月15日
やさしい猫

3月にスリランカ人のウィシュマ・サンダマリさんが、名古屋出入国在留管理局の施設で死亡した。収容中に体調を崩し、満足な医療が施されないまま息を引き取った。このことがマスコミでも大きく報じられ、入管制度への関心が高まった。その時期に本書は「タイミングよく」出版された。8月下旬に発行され、10月上旬には再版になる反響ぶりだ。
女子高生のマヤちゃんが語り手となって、小学3年生から高校2年生までの家族の歴史を「きみ」宛てに書き綴った物語である。夫を亡くしたシングルマザーの母ミユキさんが、8歳年下の青年と恋に落ちるが、青年は会社が倒産しクビになり仕事が見つからない。マヤちゃんの思春期の青春物語も横糸の様に編み込まれ、やがて3人は家族になる。これだけでも十分家族愛の小説になる。
しかしミユキさんが愛した相手が、たまたまスリランカ人クマさんとなると、ビザの更新、不法残留、収容、仮放免など入管行政という重いテーマが入り込む。マヤちゃんがストーリーテーラーなので、難解な入管制度の問題点まで知ることができる。法律や制度を説明されてもつい聞き流すが、小説になるとマヤちゃんの親戚のおじさんになった気分で感情移入できる。直木賞作家・中島京子の緻密な取材に裏打ちされた文章のうまさによるものだろうが。
マヤちゃん家族の裁判を手伝うハムスター弁護士こと恵耕一郎弁護士が登場する。モデルは指宿昭一弁護士。彼は外国人実習生の擁護が評価され、米国務省から「人身取引と闘うヒーロー」に今年選ばれた。ウィシュマさん遺族の代理人弁護士もしている。中島さんは彼から専門知識のアドバイスを受けており、物語に現実性が増している。指宿弁護士の父親は奄美出身者。恵弁護士の父親は高校生だった1949年に、米国の占領下にあった奄美から日本に密航したことをマヤちゃんに話す。国境とは何かを考える重要な場面である。
日本という国は、国境を越え観光に来る外国人には微笑みかける。一方で、国境を超えてきた労働者にはうとましい顔を見せ、彼らの人権にも無関心。「やさしい猫」はクマさんがマヤちゃんに話してくれたスリランカ童話。日本はいつになったらやさしい猫、気づきの猫になれるのか。時代の証言といえる作品である。
書名『やさしい猫』
著者:中島京子 出版社:中央公論新社 価格:1,900円+税
2021年10月07日
真鍋淑郎氏
温暖化予測で真鍋淑郎氏にノーベル物理学賞。
このニュースを聞きながら、学生時代を思い出した。
地学科の知り合いの学生から「流体力学を使って桜島の土石流の数式を作ってほしい」と依頼された。
数式については専門の数学科を呼ぼうと3人でとりかかった。地学科から具体的な土石流の動きを聞き、物理の私が流体力学の基本式を組み合わせ、数学科に式の補正をしてもらった。
当時の地方大学では、簡単に学生がコンピュータを使用できる環境になかった。手計算で「解」がでるように、数式をなるべく省略しなければならず、そうすると具体的な動きとはかけ離れたものになり、それを繰り返し1週間くらいでサジを投げた。

このニュースを聞きながら、学生時代を思い出した。
地学科の知り合いの学生から「流体力学を使って桜島の土石流の数式を作ってほしい」と依頼された。
数式については専門の数学科を呼ぼうと3人でとりかかった。地学科から具体的な土石流の動きを聞き、物理の私が流体力学の基本式を組み合わせ、数学科に式の補正をしてもらった。
当時の地方大学では、簡単に学生がコンピュータを使用できる環境になかった。手計算で「解」がでるように、数式をなるべく省略しなければならず、そうすると具体的な動きとはかけ離れたものになり、それを繰り返し1週間くらいでサジを投げた。
