2015年03月31日

南日本にがおえ塾④

2000年は前年の反動か3人しか掲載されなかった。

6月に載った赤瀬川さんから「ペジェ」曲線で描いている。ソフトを買ってから使いこなすまで1年半以上かかったことになる。

掲載されたのは、上沼恵美子(お笑いタレント)、赤瀬川原平(前衛美術家)、トルシエ監督(サッカー日本代表監督)









  


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2015年03月29日

南日本にがおえ塾③

1999年も、まだタブレットで描いている。

「ペジェ」曲線をはじめとして、「イラストレータ」を独学で習得するには骨が折れた。

「イラストレータ」を教えてくれた私の知人は、ソフトの種類は良く知っていたが、それらを使いこなす人ではないことを忘れていた。

この年は第3回にがお絵塾大賞で「大賞」を受賞、金一封もいただいた。

掲載されたのは、吉村作治(考古学者)、荒木経惟(写真家)、坂本龍一(音楽家)、花村萬月(作家)、ウッディ・アレン(映画監督)、鳩山由紀夫(政治家)、王貞治(ダイエーホークス監督)






















  


Posted by kotota at 10:48Comments(0)似顔絵

2015年03月28日

南日本にがおえ塾②

1998年は「にがおえ塾」に大きな変化があった。

秋から、それまで墨一色だった紙面がカラー化になった。

さて困った。色付けをどうしよう。水彩で塗っていて、はみ出したり色が違った場合、最初から書き直しになる。

心配事が先になる。その時、パソコンソフトが得意な知人が「カラーものならイラストレーターがいいよ」と教えてくれた。

その言葉に飛びつき、別のコンテストでもらった10万円の賞金を元手にすぐ買った。

バージョンはまだ5か6の時代だったが、12~13万円もした。

しかし、ソフトを立ち上げて「しまった」と思った。「イラストレーター」で自由な曲線を描くには、「ペジェ曲線」を習得しなければならなかった。

それから、独学で「ペジェ曲線」との格闘が始まる。しかし、さしあたり投稿するため、タブレットを使って作品を描く事にした。

この年のカラー作品は、すべてタブレットによるもの。この当時、タブレットも機能が良くなかった。

それがかえって、いい味を出してくれたのかもしれない。

コーナーキャラの「ニセール塾長」にも色が付いた。

98年に掲載されたのは、久米宏(ニュースキャスター)、石ノ森章太郎(まんが家)、ミスター・ビーン(コメディアン)、小泉純一郎・小渕恵三・梶山静六(総裁候補者)、渡辺貞夫(ミュージシャン)、小錦(力士)、淀川長治(映画評論家)、永六輔(タレント)、





















  


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2015年03月27日

南日本にがおえ塾①

南日本新聞の「にがおえ」コーナーが、3月末で終了する。

1997年にスタートし、18年間続いた。初期の頃は新聞社のM社長も投稿したという伝説も残っている。

終了を期に、これまで掲載された私の作品をアップしていく。

スタート時のコーナー名は「YOUCANにがおえ塾」。その名のとおり、夕刊に週一5点が掲載された。

そのうち「一席」と「二席」には、コーナーキャラの「ニセール塾長」がコメントも寄せていた。

97年の4月にスタートしたのだろうが、私がこのコーナーに気づいたのは梅雨明け。

最初に載ったのが、1997年7月4日・細川護熙(元総理)。

当時、細川さんが係わったとされる「オレンジ共済事件」があった。

その事件について細川さんが口をつぐんでいたので、それを見立ててこんな似顔絵に。

その後、佐高信(評論家)、宮崎駿(アニメーション作家)が掲載された。

年末に第1回にがお絵塾大賞が発表され、宮崎駿の似顔絵が優秀作品に選ばれた。



 










  


Posted by kotota at 15:01Comments(0)似顔絵