2021年05月22日

暮らしの言葉から遠ざかる助数詞





 小学校2年生の算数の授業で「32円のアメを買いました。100円はらうとおつりはいくらですか」。この問題に、ほぼ全生徒がお釣りの意味を知らなかったと、テレビ番組が取り上げていた。親との買い物で、電子マネーでピッとやる姿しか見ていなければが、釣り銭を知らなくて当然か。

 買い物と言えば、かつては店員さんに「うどん4玉、ブドウ2房、水イカ3杯、こんにゃく2丁、タラコ3腹」などと、数量に助数詞を付けて自分の欲しい数量を買っていた。今ではスーパーやコンビニの棚から、欲しい数だけの商品を手にレジに持って行くだけ。若者にとって「イカ、こんにゃく、タラコの数え方」は、クイズの世界の話。実社会で使う若者はほぼいないのでは。

 「1チョウ、2チョウ、3チョウと。お豆腐屋さんじゃないだから」。政府予算が膨れ上がると、このフレーズを必ず使う政治家や評論家がいる。でも若者に、この兆と丁の洒落(しゃれ)が通じているのか。

 メキシコの5歳の孫娘は、家では父親とはスペイン語、母親とは日本語で話している。最近日本語で困っているのが、この助数詞について。娘がSNSにアップした2人の会話。孫「今日公園で友達が3個できた」。娘「3人ね」。孫「うん。あっ間違えた、もう1個いた」。娘「もう1人ね。女の子それとも男の子」。孫「男の子がね4匹」。

 スペイン語には助数詞が無いという。日本の子どもたちは、周りの会話や書物から徐々に使い方を覚えてきた。母との会話だけで学んでいる孫には、いささか難しいだろう。でも「3匹の侍」という時代劇もあるので、男は匹でもいいか。
  


Posted by kotota at 14:59Comments(0)コラム助数詞

2021年05月19日

さらば古畑任三郎

さらば古畑任三郎。






  


Posted by kotota at 15:40Comments(0)似顔絵田村正和古畑任三郎

2021年05月17日

「論理的で不思議」だった安野さん





 中学生の一時期、学校の図書館に足しげく通った。勉学に目覚めたのではない。ドーナツと、取っ手の部分に穴のあるコーヒーカップは同じ「もの」。境界も表裏の区別も持たない壺。とても柔らかくて伸びる下着は、上着を着ていても脱げる。こうした内容を楽しいイラストで描いた雑誌が、毎月読めたからだ。後年トポロジー(位相幾何学)の入門書と知るが、当時は奇妙な絵が面白かった。

 20歳代に書店で手にした安野光雅の絵本「ふしぎなえ」は、10数年前の記憶を呼び起こしすぐに購読した。その後も彼の絵本を数冊購入した。背表紙まで傷むほどに娘たちの愛読書になり、今も本棚に置かれている。

 当時、女性フッション雑誌「アン・アン」「ノン・ノ」を片手に、安曇野など人気観光地を旅する女性がアン・ノン族と呼ばれていた。安野さんは津和野出身であり、津和野をはじめヨーロッパ各地の幻想的な風景画も描いた。彼の風景画ファンはアン・ノン族をもじってアンノ族と自称していた。30代の私はアンノ族にならず「算私語録」など科学、数学からアートまで幅広いテーマのエッセイ本に興味を持った。どの文も論理的な洒脱さが気に入っていた。

 一方で彼は、金正恩について聞かれ「ぼくは、金正恩のように大嫌いな奴も、戦争さえやめてくれたらなかなかいい奴だと考えが変わってしまう、それほどに戦争の苦しみが抜けない」と「最後の二等兵」の実体験から戦争の愚かさを語っていた。

 94歳で逝ってしまった安野さん。まんがでは亡くなった人の頭には天使の輪が描かれるが、彼の頭上にはメビウスの輪状の物が光っていたのでは。
  


Posted by kotota at 15:33Comments(0)コラム安野光雅

2021年05月16日

中身にまで影響を与える表紙もある




 装丁の第一人者として知られる平野甲賀さん。彼が手がけた作品のリトグラフやポスターの展示会が、繁華街にある雑貨店兼ギャラリーで開かれた。見覚えのある独特の描き文字がずらりと並ぶ。平野さんの名は知らなくても、沢木耕太郎「深夜特急」とか、植草甚一やサブカル本の出版で有名な晶文社の書籍のタイトル文字といえば、思い出す人も多いだろう。

 私が「甲賀フォント」として最初に覚えているのは、劇団のチラシだった。なじみの印刷所の営業マンから「この劇興味ある」と見せられたのは「68/71黒色テント」の「阿部定の犬」。元劇団員としてチケット販売を手伝っていた。演目の文字が気に入り即購入したが、いつも背広をぴしっと着こなし物腰も柔らかく笑顔で接客する彼と、黒色アナキストの劇団員のギャップにも驚いた。

 そんなことを思い出しながら作品を見て回った。 ギャラリーの壁には作品のリトグラフ20点ほどと、装丁した書籍の古本約100冊が展示されていた。A1サイズのファイルに入った原寸原稿も鑑賞できた。大胆な描き文字が多いが、一方で写植文字を「寸止め」で切り貼りした甲賀ヅメの作品も。どちらもミリ単位以下にこだわった、緻密な仕事ぶりに目を奪われた。

 彼のデザインは「パッケージデザインじゃないですね。中身にまで影響してきちゃう。文章がちょっと違って読めてくるような気がする」(建築家・石山修武)と評されている。

 さてこちらは、東京2020組織委員会。新しい「表紙」の方は、わきまえない表紙として、日本社会のジェンダーギャップにまで影響力を発揮できるか注目される。

  


Posted by kotota at 14:21Comments(0)コラム平野甲賀

2021年05月15日

ゴッタン





 「箱三味線」と呼ばれるゴッタンの低く素朴な音が、ビル地下にある打ち放しのコンクリート壁の会場に広がる。ゴッタンは鹿児島、宮崎に伝わる杉材の伝統楽器。北九州育ちの私にはなじみがなかった。

 ゴッタンの由来については諸説ある。中国雲南省の弦楽器・古弾(グータン)が九州に伝わりゴッタンに展開したとか、琉球の三線(さんしん)が薩摩に伝わり薩摩瞽女(ごぜ)の練習用三味線として作られたなど。今では「伝説の」や「幻の」が必ず「上の句」に付くほど、謎の多い楽器である。確かなことは、戦前まではどの農家にもあり、手慰みに弾いて楽しんでいたが、戦後は手にする人が急速に減ったという事実である。

 鹿児島で暮らし始めた40年ほど前、名手・荒武タミさんが東京国立劇場企画の「日本音楽の流れ―三弦」で演じたとの報道で初めて知った。国立劇場といういわば権威や格式ある場に、タミの素朴で野太い演奏が響き、霧島山麓の視力を失くした芸能者が聴衆の心をわしづかみにした、と報じられたと記憶している。この舞台を機にタミの名とともに、絶滅危惧種のようになっていたゴッタンが再評価されることになる。しかしその後、時代の流れで弾く人がいなくなったと思っていた。

 ビル地下の演奏会で、タミ直伝の伝統的な弾き語り唄を引き継ぐ人。教育活動の中で子供たちにゴッタンの習得と伝承に取り組む先生。エレキゴッタンに改造しポップな曲調にしたミュージシャンに出会った。ゴッタンは多様な響きで地域の音風景として定着し、現在進行形で変容し続けていた。3密の不安が消えた時また聴きたい。




  


Posted by kotota at 17:28Comments(0)ゴッタン

2021年05月13日

世界自然遺産

奄美大島、徳之島それに沖縄県の沖縄島北部と西表島にある森林などが、世界自然遺産に登録されることを記念して。







  


Posted by kotota at 15:53Comments(0)世界自然遺産奄美

2021年05月05日

聖火リレー

「聖火」、「死」か、それが疑問だ
1959年 福田恒存/訳 『シェイクスピア全集 10』

このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ。
1977年 小田島雄志/訳『ハムレット(シェイクスピア文庫2)』