2025年05月23日
極私的ストリートオルガン発祥の地

今では全国各地に置かれているストリートピアノ。JR鹿児島中央駅近くの商店街に、カラフルに彩色されたピアノがある。2011年2月に誕生した日本初のストリートピアノだ。同年3月12日の九州新幹線全線開通に合わせ、観光客の「おもてなし」や地域の活性化になると設置された。
ピアノが置かれたのが東日本大震災の直前だったこともあり、毎年3月11日には被災地の復興を祈る演奏も行われている。屋外設置のため劣化が進み、今年の3月11日から2代目にバトンが渡されたと報じられた。
妻は三十数年前、陶器などハンドクラフト物を並べた4坪ほどの小さな店を開いた。商売よりも、知人との井戸端会議の場所として繁盛していた。二人の娘の学校帰りの休憩所でもあった。オープン時にウエルカムオブジェにもなると、妻の実家にあった古いオルガンを運び、白く塗り店頭に置いた。ペイントは、屋外で雨風にさらされるための防御策でもあった。譜面台は、円形の手作りリースで飾った。
学校帰りの女の子が「おばちゃん弾いてもいい」とはにかみながら声を掛けてきたり、「ピンポンダッシュ」のように鍵盤に触っては走り去る男の子もいた。店は15年ほど前にたたみ、木造2階の建物は解体され更地になった。もし日本のストリートピアノの歴史がひも説かれても、このオルガンには誰も触れないだろう。でも私たちは、この地を日本のストリートキーボート発祥の地と刻みたい。
法的に根拠があいまいなトランプの大統領令はカオスを生んでいるが、私たちの発祥地「宣言」は誰にも迷惑はかけない。
2024年09月25日
「正剛磁場」に引き込まれた高校時代

「編集工学」の提唱や、書籍紹介サイト「千夜千冊」などで知られる松岡正剛さんが8月12日に亡くなった。毎日新聞の追悼記事で知った。80歳。
松岡正剛と聞いても知らない人が多いかもしれない。2020年の「紅白歌合戦」で、YOASOBIが高さ8㍍の巨大本棚でぐるりと囲まれた前でパフォーマンスを披露した。場所は埼玉にある角川武蔵野ミュージアムだ。本棚は本棚劇場と呼ばれ、同館の松岡館長の監修によるもの。
彼が注目されるきっかけは、1971年創刊の伝説の雑誌「遊」の編集長として。私の「出会い」はその数年前。
高校の図書館に、物理に関する面白い本はないかと、たまに足を運んでいた。2年生の67年の夏ごろ、貸出カウンター横に置かれた新聞架にあったタブロイド紙に目が吸い寄せられた。高校生向けの月刊新聞「the high school life」だった。一面に宇野亜喜良の大きなイラストレーション。地方都市の少年は「神聖」な図書館で閲覧していいのか迷うほどだった。寺山修司、澁澤龍彦、稲垣足穂といった突出した人たちの演劇、文学論が毎月載っていた。私の脳には、歯ごたえがありすぎる紙面構成になっていた。正剛イズムの初期値が示された新聞だった。
この時以来、半世紀以上「正剛磁場」に引き込まれたままだ。彼の著作内容は、古今東西の文化・哲学・歴史、宇宙の果てから素粒子の深部まで果てしない。しかも「編集工学」の手法で、これらの相互作用まで表現していた。剛速球や縦横無尽の変化球ばかり。内野へのゴロも打ち返せないうちに、マウンドからふっと消えた。合掌。