2016年05月13日
明日の神話
日本とイタリアの「奇想の系譜」、若冲展とカラヴァッジョ展を観に5月10日から3日間東京に。
2人の作品以外にもう1点見ておきたいものがあった。岡本太郎の「明日の神話」。
岡本作品との最初の出会いは1960年代後半の高校生の時。近くの公民館で「超現代美術展(名称は不明確)」が開かれた。公民館と言っても「都市型公民館」発祥の地であり美術展示室も設けられていた。切り裂かれたキャンバス、ファスナーが取り付けられたキャンバス、覗きからくりのような作品物と一緒に、一つ目少女と機関車の中村宏や岡本太郎の絵画が展示されていた。岡本の作品が「痛ましき腕」風だったか、「千手」風だったか、記憶はあいまいだが強烈な印象だけは残っている。
「明日の神話」は2003年にこメキシコで見つかったものの、破損が激しく修復・公開・展示までに相当な資金が必要との報道が流れた。糸井重里の「ほぼ日新聞」で、2006年から「TAROコイン」の販売金を修復等の基金に当てる企画が始まった。太郎ファンとしては修復された巨大作品を見てみたいと、家族4人分購入した。購入した人の氏名で岡本太郎の顔を描く企画も、コイン購入の理由である。
「明日の神話」は2008年末に渋谷マークシティに展示された。思い入れがあるだけに一目みたいと思っていた。東京出張はたびたびあったが、ほとんど日帰りのため足を向ける機会をなくしていた。そしてようやくその日が。
JR渋谷駅と京王井の頭線の通路にあるとの情報を頼りに、10日夕方、山手線から井の頭線の改札口に「右手方向」を気にしながら向かった。しかし、井の頭線の改札口が見えるところまで来ても作品が見当たらない。通路を間違ったのかと振り向きざまに「右手方向」に巨大作品があった。報道されている写真が井の頭線方向からの写真が多かったため、ついつい「右手方向」「右手方向」と刷り込まれてしまっていたようだ。
通路を行き交う人達は悲しいくらいに作品に目もくれず、歩きスマホか無関心。作品が展示されてから8年も経っているので致し方ないのかもしれない。みんな「今日」に精一杯生きているのだろう。グルメ展でもないのだし。
でも「明日」の自分をふと思った時に、ここに来て見上げれば何か伝わる、それでいいのだから。
2人の作品以外にもう1点見ておきたいものがあった。岡本太郎の「明日の神話」。
岡本作品との最初の出会いは1960年代後半の高校生の時。近くの公民館で「超現代美術展(名称は不明確)」が開かれた。公民館と言っても「都市型公民館」発祥の地であり美術展示室も設けられていた。切り裂かれたキャンバス、ファスナーが取り付けられたキャンバス、覗きからくりのような作品物と一緒に、一つ目少女と機関車の中村宏や岡本太郎の絵画が展示されていた。岡本の作品が「痛ましき腕」風だったか、「千手」風だったか、記憶はあいまいだが強烈な印象だけは残っている。
「明日の神話」は2003年にこメキシコで見つかったものの、破損が激しく修復・公開・展示までに相当な資金が必要との報道が流れた。糸井重里の「ほぼ日新聞」で、2006年から「TAROコイン」の販売金を修復等の基金に当てる企画が始まった。太郎ファンとしては修復された巨大作品を見てみたいと、家族4人分購入した。購入した人の氏名で岡本太郎の顔を描く企画も、コイン購入の理由である。
「明日の神話」は2008年末に渋谷マークシティに展示された。思い入れがあるだけに一目みたいと思っていた。東京出張はたびたびあったが、ほとんど日帰りのため足を向ける機会をなくしていた。そしてようやくその日が。
JR渋谷駅と京王井の頭線の通路にあるとの情報を頼りに、10日夕方、山手線から井の頭線の改札口に「右手方向」を気にしながら向かった。しかし、井の頭線の改札口が見えるところまで来ても作品が見当たらない。通路を間違ったのかと振り向きざまに「右手方向」に巨大作品があった。報道されている写真が井の頭線方向からの写真が多かったため、ついつい「右手方向」「右手方向」と刷り込まれてしまっていたようだ。
通路を行き交う人達は悲しいくらいに作品に目もくれず、歩きスマホか無関心。作品が展示されてから8年も経っているので致し方ないのかもしれない。みんな「今日」に精一杯生きているのだろう。グルメ展でもないのだし。
でも「明日」の自分をふと思った時に、ここに来て見上げれば何か伝わる、それでいいのだから。
Posted by kotota at 18:07│Comments(0)
│岡本太郎