2024年11月21日
焼き物の色復元と「青い謎」の解明も
鹿児島市本庁舎は、都道府県庁所在地の中では、静岡・名古屋・京都と並んで数少ない戦前の建築物だ。1937年に完成し、戦火もくぐり抜け98年に国の登録有形文化財になっている。
庁舎正面のアーチ状の玄関に、直径約80㌢のレリーフが正面に4枚、側面に2枚ずつある。唐草模様が中央の杯を囲むデザインだ。設置から85年以上が経ち、ひび割れや一部パーツが欠けていることから、このほど本格修復されると報道された。レリーフは薩摩焼の名陶工、初代長太郎(1871~1940年)の作。当時の岩元禧(き)市長と親交があり依頼された。うわぐすりに「辰砂釉(しんしゃゆう)」が使われ、完成時は緑がかった色だった。今は青く着色されている。
40年ほど前、知人から「長太郎さんのレリーフが市役所の玄関にある」と聞き見にいった。長太郎とは思えない色に疑問を持ち調べた。鹿児島市史第3巻(81年発行)の「年表」に「(44年)市庁舎、黒の迷彩色に塗り替える」「(53年)10月戦時中黒の迷彩色に塗りかえた市庁舎の垢(あか)落しはじまる」の記述を見つけた。
修復の助言役は、初代の孫で4代目の有山長佑さん(88)。彼が記者に「大学進学などで故郷を離れていた間に釉薬(ゆうやく)が作り出す緑がかった色味が、(ペンキで塗られて)青色に変わっていて驚いた」と話している。
市誌と長佑さんの記憶を重ねると、53年の「垢落し」の時に青く塗られたと推察される。修復で初代の色がよみがえり、「青色変化」の謎も解明されればと期待したい。
市庁舎の迷彩色が、空襲を免れた原因かは定かではない。再びビルを黒く塗るような時代にしてはならない。
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