2015年12月18日
下町ロケット
中学まで住んでいた家とJR(当時は国鉄)駅の間には、中小企業の工場が数多くあった。
工場の入り口付近に、材料や部品が転がっていたので、よく拾って帰った。形や色が面白く、大事な宝物だった。
数年前、その通りを歩いたが、ほとんど更地か駐車場、マンションに変わっていた。元受企業の下請けが、ほとんど海外に移ったためだろう。
ただ一箇所だけは残っていた。ここでは、大学時代にアルバイトをしたこともある。当時、元受会社は地域の大企業に比べると、それほど有名ではなかった。今では、世界の先進ロボット企業として注目を浴びるほどになっている。
この下請け企業では、小型のモーターを作っていた。手作業による銅線のコイル巻きと、完成品がショートしないか検査機によるテスト。合格すると元受に運ばれていた。
コイル巻きは、銅線の間に隙間が出ないように竹ベラを上手に使っていた。この竹べらで銅線の皮膜に傷を付けると、ショートの原因になる。これらは、ほとんど若い女性が作業していた。昼休みは、晴れていればバレーボール、雨の日は裁縫と決められているように休憩時間を使っていた。その頃は、女性は結婚すれば会社を辞めていたので、低賃金の労働力をたやすく雇用できたのだろう。
日曜夜の「下町ロケット」を見ると、これらの中小企業のことを思い出す。唯一残った工場では、今は何がどのように作られているのだろうか。

工場の入り口付近に、材料や部品が転がっていたので、よく拾って帰った。形や色が面白く、大事な宝物だった。
数年前、その通りを歩いたが、ほとんど更地か駐車場、マンションに変わっていた。元受企業の下請けが、ほとんど海外に移ったためだろう。
ただ一箇所だけは残っていた。ここでは、大学時代にアルバイトをしたこともある。当時、元受会社は地域の大企業に比べると、それほど有名ではなかった。今では、世界の先進ロボット企業として注目を浴びるほどになっている。
この下請け企業では、小型のモーターを作っていた。手作業による銅線のコイル巻きと、完成品がショートしないか検査機によるテスト。合格すると元受に運ばれていた。
コイル巻きは、銅線の間に隙間が出ないように竹ベラを上手に使っていた。この竹べらで銅線の皮膜に傷を付けると、ショートの原因になる。これらは、ほとんど若い女性が作業していた。昼休みは、晴れていればバレーボール、雨の日は裁縫と決められているように休憩時間を使っていた。その頃は、女性は結婚すれば会社を辞めていたので、低賃金の労働力をたやすく雇用できたのだろう。
日曜夜の「下町ロケット」を見ると、これらの中小企業のことを思い出す。唯一残った工場では、今は何がどのように作られているのだろうか。
