乱歩と養源寺

kotota

2016年05月23日 21:46

 先日の東京行きでは、天文館「鶴八」のママのお墓参りも。亡くなってから20年ほどになる。ママは30歳頃に、恩赦で出所し谷中で暮らしていた阿部定を見たことや、時局が悪化した戦中に夫の仕事関係で満州に渡り大連のダンスホールでは男装の麗人・川島芳子と会ったことなどを話していた。福岡を経て鹿児島に引き上げてからは、夫とも別れ「天涯孤独」だった。亡くなった後、常連客の調べで、父親の墓が東京・谷中にあることが分かり、そこに納骨した。



 話は飛ぶが、江戸川乱歩が没後50年を経たため、彼の作品がパブリックドメイン(著作権フリー)になった。「青空文庫」でデジタル化が進められ、タブレットで読める「Kindle・無料版」も『二銭銅貨』を皮切りに、その後、心理試験、D坂の殺人事件、人間椅子、怪人二十面相、日記帳、少年探偵団、指環、パノラマ島綺譚がアップされている。



 わたしはこれまで、二銭銅貨から日記帳まで読み、今日(5月23日)『少年探偵団』を読み始めた。黒い魔物と探偵団の対決話だ。ストーリーが始まってすぐに、団員が黒い魔物の後姿を見つける。
 そして話は「町をはなれ、人気のない広っぱを少し行きますと、大きな寺のお堂が、星空にお化けのようにそびえて見えました。養源寺という江戸時代からの古いお寺です。
 黒い魔物は、その養源寺のいけがきに沿って、ヒョコヒョコと歩いていましたが、やがて、いけがきのやぶれたところから、お堂の裏手へはいってしまいました。
 ・・・・見ると、そこは一面の墓地でした。古いのや新しいのや、無数の石碑が、ジメジメとこけむした地面に、ところせまく立ちならんでいます。空の星と、常夜灯のほのかな光に、それらの長方形の石が、うす白くうかんでいるのです。」と続く。


 実は、ママのお墓があるお寺が「養源寺」。お寺と墓地の感じが作品に書かれている情景とよく似ている。「養源寺」が「江戸時代からの古いお寺」ということは、江戸切絵図「東都駒込邉絵図」にも記されている。












 『少年探偵団』は玉川電車(戦後すぐの)沿いが事件現場に想定されているが、沿線沿いにある森巌寺、乗泉寺、円泉寺には当時、墓地・霊園はなく、作中の「養源寺」は谷中の「養源寺」だと思った。

 ママの墓参後、近くの団子坂を下って東京メトロの千駄木駅に向かったが、この団子坂は乱歩の作品で初めて明智小五郎が登場する『D坂の殺人事件』のD坂である。乱歩は結婚後の一時期は団子坂に住んでいたし、三重県から上京し団子坂で兄弟三人と三人書房と名付けた古本屋を始めている。このことからも、寺のモデルは谷中の「養源寺」と確信した。

 さて、わたしは、もう一度、『少年探偵団』の話の中に戻らなければなりません(乱歩風)。



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