「論理的で不思議」だった安野さん
中学生の一時期、学校の図書館に足しげく通った。勉学に目覚めたのではない。ドーナツと、取っ手の部分に穴のあるコーヒーカップは同じ「もの」。境界も表裏の区別も持たない壺。とても柔らかくて伸びる下着は、上着を着ていても脱げる。こうした内容を楽しいイラストで描いた雑誌が、毎月読めたからだ。後年トポロジー(位相幾何学)の入門書と知るが、当時は奇妙な絵が面白かった。
20歳代に書店で手にした安野光雅の絵本「ふしぎなえ」は、10数年前の記憶を呼び起こしすぐに購読した。その後も彼の絵本を数冊購入した。背表紙まで傷むほどに娘たちの愛読書になり、今も本棚に置かれている。
当時、女性フッション雑誌「アン・アン」「ノン・ノ」を片手に、安曇野など人気観光地を旅する女性がアン・ノン族と呼ばれていた。安野さんは津和野出身であり、津和野をはじめヨーロッパ各地の幻想的な風景画も描いた。彼の風景画ファンはアン・ノン族をもじってアンノ族と自称していた。30代の私はアンノ族にならず「算私語録」など科学、数学からアートまで幅広いテーマのエッセイ本に興味を持った。どの文も論理的な洒脱さが気に入っていた。
一方で彼は、金正恩について聞かれ「ぼくは、金正恩のように大嫌いな奴も、戦争さえやめてくれたらなかなかいい奴だと考えが変わってしまう、それほどに戦争の苦しみが抜けない」と「最後の二等兵」の実体験から戦争の愚かさを語っていた。
94歳で逝ってしまった安野さん。まんがでは亡くなった人の頭には天使の輪が描かれるが、彼の頭上にはメビウスの輪状の物が光っていたのでは。
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