お田植神事

kotota

2016年01月03日 23:47

1月3日、遅い昼食を済ませ、ぶらりと出かけた中郡小裏の一之宮神社。

お参りをして、おみくじを引いて帰るくらいで訪ねた。

ところが、この日とこの時間帯にしか見られない行事に出会った。

帰りかけたときに、社殿から出てきた宮司さんが、餅などを載せた四つの三宝を社殿の前に並べ始めた。




「何が始まるのか」と、神社のはっぴを着た氏子らしいおじさんに聞くと、正式には打植祭、いわゆるお田植え行事が始まると説明してくれた。

そういえば、社殿そばに黒い牛の小さな像と「奉納」と書かれた鋤が置かれていた。




まず、牛に綱をかけ、子供を中心に牛を引きながら社殿の周りを3周した。その間、宮司が太鼓で調子をとっていた。







社殿前の敷地を斎田に見立て、牛に鋤をつけて3度耕した。



耕し終えると、松葉を苗に見立て田植えが始まった。







斎田の周囲には、しめ縄を張られた。四方は本来は青竹なのでしょうが。



「時が経つのは早いもので」と、宮司が観衆の笑いを誘いながら、稲の収穫を表すのか、「商売繁盛、家内安全」等と声をあげながら籾米まき。



籾米を散布して、お田植え祭は終了だが、三宝に載せていた丸餅を氏子の女性たちが割って観衆に振る舞ってくれた。



この餅で、自分の体の悪い部分と同じ場所を先ほどの牛の像を撫でさすれば病気が治るそうだ。



また、この餅を食すればその年無病息災とされる。ただし「餅は焼いてはだめで、必ずぜんざいにするなど煮なければ語利益はない」と氏子のおじさんが教えてくれた。



ついでに、一之宮神社の小ネタをいくつか。

一があれば、二、三もあって、二之宮は草牟田鹿児島神社、三之宮は川上町川上天満宮だそうだ。

一之宮神社の家紋ならぬ神紋は揚羽蝶だった。






境内には、県史跡の弥生式住居跡の一宮遺跡がある。看板は立派だが、跡地はただ土地が丸く削られ落ち葉がたまっているだけで、残念だ。